soccercoachingjpのブログ

サッカーコーチお役立ち情報を提供しています

スポーツ・運動と健康の関係

 今日の最も差し迫った健康上の問題といえば、肥満の発生率の増加である。より多くの子供達が肥満に分類されて、この超過した体重は、成人になっても結果として引き継がれて、健康の問題に直面することになる。

 

「肥満の蔓延」として問題視されるものには、専門家は肥満の上昇は運動不足と摂取カロリーの超過が原因であるとしている。歴史的には、医師は運動不足の健康への影響について国民へ警告を発している。ヒポクラテスの時代までさかのぼっても、定期的な運動の重要性は強調されている。「Science of Soccer Online」では、スポーツ及びユース年代のサッカープログラムが、運動の機会の増加と肥満撃退の重要な役割になることを強調している。しかしながら、国民の健康増進においてスポーツの推奨は新しいコンセプトのものではない。1800年代の半ばにBritish Medical Journal(以下BMJ)の編集者より寄稿された2つの記事では、もしスポーツやエクササイズが極端に減少したり、もしくは無くなってしまったら何が起こりえるのかを警告している。

 

最初の記事は、イートン校の校長である、エドワード博士への返答文として書かれている。1857年、エドワード博士は、「若者の放蕩と支出の増大につながるとの口実」で、学校のクリケットの試合を取りやめることにした。基本的には、彼はスポーツは、時間と体力の無駄であり、教育機関においてスポーツの余地などないと感じていた。

 

BMJの記者は断固反対した。学校は、教育課程の一つのパートとしスポーツや運動を行うように推奨するべきだと議論を持ちかけた。「真の意味での有能な人間形成には、筋肉は脳と同様にエクササイズをさせなければならない。あなたの学校の顔色の悪い生徒達は、人間らしさがないし、世界の歴史の中で時代を生み出すような強い活動は彼らには絶対生み出せないだろう。フットボールクリケット、乗馬や射撃はメンタルトレーニングを必要とするものだし、そして新しい時代を生み出す原動力でもある。

 

明らかに、BMJは心と身体を伴った適切な教育が必要と感じていた。彼らは、New York Timesのイギリスと比較した際のアメリカの運動不足の記事を引用して、こう続けた。

「知性のバランスを欠いた独裁は、私達がアメリカで労働をする下では、最も辛らつな社会的呪縛である。全ての種類のスポーツ、そして特に脳や身体の発達に効果的なスポーツ、そして、元気にイキイキと活動できることは、「運動マインド」とでも呼ぶできものであるが、我々には決して推奨されていない。私達の運動の機会はほとんど生活の中でチャンスはない。私達はただ神経を使うために存在している。」

NYTの記者が言及することは、運動と組織スポーツを犠牲にすることは、意思決定の能力や分別のある考えを発展させる機会を制限して、バランスを欠いた状態になるということである。スポーツや運動の欠落は、他の社会的な病気の原因にもなる。

 

 BMJ(British Medical Journal)が強く感じていることは、教育は「学問的な部分」と「身体的な部分」をなくして完成できないということである。

 

次の記事は、最初の記事から1年以内に発行されたものである。当時、教育委員会のメンバーは議論を行っていた。Hawtry博士は、学術的なものを強調しすぎて身体的な活動を軽視していると。再び、BMJはスポーツと身体活動が重要であることをアメリカとイギリスの身体的な活動を対比して事例を出した。

「私達の間にある現在の風潮を小さな意見として扱ってしまうと、イギリス人はさらに人間らしさを失うようになり、身体的な能力は他の国よりも低くなってしまうだろう。大西洋をこえて見てみれば、健康で、陽気で、身体的にも健康なイギリス人が、簡単に血色の悪い、悲観的で、あごのやせ細ったアメリカ人になってしまうことがわかる。

 

そして、「もし、アメリカ人に運動を推奨しても、彼らは疑問しか抱かないだろう。アメリカの学生は、イギリスの学生がフットボールで身体を酷使したり、風の中でヨットをすることをおかしいさえと考えている。」

この点で、定期的な運動なしでは、アメリカに住むイギリス人は、病的で、イライラして怠惰になっていくということであった。アメリカでは運動の大切さというのは、ほとんど理解されていなかった。編集者は、アメリカ人の足の筋肉があまりにも欠いていることを指摘し、「特別な証拠なしにこの現実を暗示する事柄」であり、洋服の仕立て屋では、アメリカ人の身体用に洋服を再度デザインする必要さえあった。

これらのことを、1800年代の医学のライターがどのように感じているか言及している。

BMJの編集者は、公立の学校はどのように運動不足の問題と国民の健康増進の問題を取り扱うべきかを力説している。

「大学や公立学校では、若者向けのゲームやスポーツを行うべきとして、そして医療関係者は、現在の学校でプログラムは健康にとってよくない傾向であることを指摘するべきと考えている。」

この年代への良い活動という面(人間形成に関して)では、私達は運動や体育をしないとうことは教育として「構築」よりも「破壊」に近いと考えざる得ないということであった。「科学の達人」として熟達した人間にはなるかもしれないが、彼らは決して、勇敢で、健康であり、活発であり、仲間と外でのアドベンチャー的なものを好む人間にはなれないだろう。

終わりに、BMJの編集者は身体活動を犠牲にして学問的なものにだけ投資する考えに対して警告を発している。身体の健康を犠牲にして学ぶことは、健康の発達と自尊心、独立性という点で限界があるということである。

 1800年の半ばに、医者は運動不足に対して警告している。これにも関わらず、公立学校での体育授業やスポーツの機会は、一定のレベルで年々減少している。それと同時に、肥満の増加と運動不足に起因する病気は増加している。また、自尊心や自立性の性格に影響を与えるという議論もある。最近の研究では、高校時代に何らかのスポーツを行っていた人たちは、成人になったあとでも、スポーツを行っていなかったクラスメイトよりもより健康で、アクティブであるということがわかっている。

BMJの編集者が言っていることは全て正しいのか?という疑問もある。運動不足や体育教育の不足が健康の問題を本当に引き起こすのだろうか?おそらく、何らかの影響はあるだろう。しかしながら、現代の経済社会においても、学校の体育教育が時間的に増加しているようには思えない。しかし、これこそが、地域のサッカークラブが、「ココロとカラダのバランスを教育する場」として、入り込んでいくべきところでもある。ココロとカラダの発達を大事にするスポーツクラブとして、「フィジカルマインド」とでも呼ぶべき、活発で、シャープで、回転の早い、アタマとカラダを形成する場として、サッカークラブが、健康増進の活発な活動を行う場として、そして生涯スポーツの場として奨励できるだろう。

 

References:

The Value of Physical Training, The British Medical Journal, 1 (26): 548-549, 1857.

Physical Education, The British Medical Journal, 1 (57): 91-92, 1858.

 こちらもどうぞ: サッカーコーチング専門サイト soccercoaching.jp